「クラス委員選挙ないのはむしろよいのでは?これを機にボランティア制にするのはどうだろう?」みっきぃが言った。

みっきぃは、PTA業界で有名な山本浩資さん(注1)が、彼の中・高・大学時代の同級生ということもあって、ボランティア制のことを徹底的に研究していた。

「実はそれ、自分も思っていた」とやぁちんがいった。

女性2人も「負担が減る」PTAの提案にうなずいた。ニュースで時折見る「負担の多いPTAをどうするか」に問題があると思った僕も賛成した。

今思えば、これは、5人の意見が一致した数少ない出来事だった。
注1)毎日新聞記者。自身がPTA会長の時に「やれるひとがやる」スタイルのボランティア制を導入し、そのときの体験談を本にしたもの「PTA、やらなきゃダメですか?」はボランティア制PTAのバイブル。

■ボランティア制への第一歩 – 共感-

令和2年度は、コロナ禍の特例として、クラス委員を選出しない(できない)方針が決まった。

それまで、活動の主な担い手だったクラス委員に代わる方法を考えないといけなかった。実際にどうボランティア制に持って行くかで意見が分かれた。

口数の少ないみっきぃは、ボランティア制の話になると急に熱くなった。

「PTAなんてなくてもいい。強いて言えば、見守りくらいかな、必要なのは」

なぜ、そこまで急進的に変えようとするのか、僕には、いや、そこにいた彼以外、誰も理解できなかった。

そんな彼にとって、負担の少ないPTAにするキーワードは「共感」だった。

「まずはみんなにキョウカンしてもらうことやらない?心に訴えかける何か、、、俺らで寸劇でもやる?会員のみんながクスッと笑うような」

それを聞いた瞬間、賛成できなかった。そんなことで数百人の保護者の共感を呼べるとは思わなかった。

もっと言えば、寸劇をしている自分を想像したら怖くなって、とてもやりたい気分にならなかった。

しかし、同時に脳裏をよぎったのは、数年前にあった学区の防災訓練。

参加者の気を引こうという趣旨だったのかはわかりかねるが、学区の重鎮の方々が「地震の時にどうしたらよいか」を寸劇で見せてくれた。

お世辞にも「面白かった」とはいいにくく、出演者も手元の原稿を見ながら、しかも楽しくなさそうに?されているようにみえた。そして、聴衆もさえない表情を見せていた。

ただ、なぜかそれを見た僕は、この学区の消防団に入ることにした。

もしかしたら、あれは「キョウカン」したからだったかもしれない。

キョウカンというのはわかりやすいものではない、心の内面を映し出すものであって、気づかなくてもいつか効果が出るのかも知れない。

そう思った僕は、寸劇のアイディアを、賛成はしなくても、反対はしなかった。不思議なことに僕以外はめちゃくちゃ賛成して、今からでも始めそうな勢いだった。

僕にとって幸いだったのは、この後、いろいろやることが出てきて寸劇どころではなくなって、実施されずに終わったことである。

■ボランティア制元年 – 共感か同情か –

クラス委員のいない令和2年度の一番大きな課題は見守り活動だった。

以前は、約半数を各学級から選出された保安委員が担い、残りは学年毎に募ったボランティアでシフトを組んでいた。

保安委員を選挙で選ぶことができなかったらその穴をどう埋めるか、この年の保安委員長も含めて議論した。

PTA経験のない僕とみっきぃは、「募集をかけたら集まる」と強気に主張したが、これまでの状況をよく知る他のメンバーは「募集をかけるのは良いが、集まるかなぁ」と懐疑的だった。

みっきぃは「保護者のキョウカンを呼ぶシカケを考えよう」といい、プロ用のソフトであるIllustratorをつかったポスターを持ってきた。

そこには、西部劇のWANTEDをモチーフにして、蟻が10匹歩いている(=アリガトウ)絵がさりげなく仕込まれていた。

クオリティは高かったが、共感を呼んで見守りサポーターになりたい人がいるとは感じられなかった。

そしてなにより、「仕事ができる感」を前面に出している彼にジェラシーを感じた。

ただ、新しい試みはめちゃくちゃおもしろそうで、「何かが起きる予感」を感じた。

募集をはじめたら、誤算がいくつかあった。ポスターは好評だったが、「サポータってなに?」「各学年ボランティアと何が違うの?」という質問が多く出た。

出る回数が違うというシンプルなメッセージがなかなか伝わらなかった。

ただ、「今年度は保安委員が選出できなくて大変だよね」という元役員経験者や保安委員の方々が多く登録してくださった。共感と言うより同情のように感じた。

ただ、単に登録するだけでなく、「大変だけど頑張って」というメッセージをつけてくださる方が多くて、お会いしたことのない役員の先輩の気配りに涙腺が緩んだ。

このように、誤算があったとは言え、30名ほどのサポーターが集まった。

保安委員の数が20人強であったことを考えると、うまくいったように感じられた。

そして何よりも、役員経験者ではないと思われる一般会員の方から何名か登録があったことはかけがえのない収穫だった。

この小学校保護者のボランティア精神を感じた瞬間だった。この日が、西陣中央小学校PTAボランティアの出発点となった。

各学年ボランティアの募集でも、みっきぃはポスターを作り続けた。

「見守り」と「Memory(思い出)」を掛け合わせた英語「Mymamory」というセリフを入れてみたり、保護者のキョウカンを誘う詩を入れ込んだポスターを作り続けた。

Mymemoryが造語と言うことが伝わらず、英語の間違いでは?という指摘を受けたときには、ちゃんと気づいてくれた人がいたんだ!と皆で喜んだ。 こんな努力もあり、最初は見守りサポーターのみで見守り活動を行っていたが、1学期の後半になって各学年ボランティアとサポーターの方々で、安定的に全ての見守りスポットに人員配置ができるようになった。

このように、一見、順調にスタートしたように思えた見守りサポーターであったが、「一部の人に負担がいっているのでは?」「見守りの目的の1つに我が子の通学路を見てもらって、危ない状況を知ってもらうこと」というご意見をいくつかいただいた。

このことはその次の年に、私が会長を受けさせていただく上で、解決すべき課題の1つになった。